ソーシャルディスタンスだけでは生き残れない。
コロナウィルスとの戦いの勝利とは何だろうか?ふとそんなことを考えていた。
自らが感染しないこと。周囲に感染させないことに留意することは当然の振る舞いだ。
一人で生きているわけではなく、大切な人々と一緒になって日々を過ごしている。
その為、リモートワーク、時差出勤、在宅勤務、自粛活動、ソーシャルディスタンス等、社会との物理的な距離を取るということは大切だ。
しかし、社会との関わりと距離を置けば、それで良しなのだろうか?
次のステップは、「情報との距離感」なのではないだろうかと考えている。
コロナウィルスの蔓延でも、リモートワークや、在宅勤務が導入される職場ではないが、「時差出勤」と「まっすぐ家に帰る」ということを獲得した僕は、妻との会話の時間が増えた。
しかしながら、朝に顔を合わせると、「昨日は何人だった?」がおはようの挨拶がわりになっている。
芸能ニュースが好きな妻は、「芸能人の○○が感染した」という情報を僕に教えてくれる。
隙間時間に、コロナ関連の情報を追いかけている。ツイッターを開けば「所在地 スペース マスク」と検索をしたこともある。
休日は、マスクやアルコールスプレーを求めて、ドラッグストアをはしごしたりする。
職場の上司とは、「アフターコロナの、オフィス不要論」に関して意見を交わすことも増えた。
希望的な話にも、「コロナが落ち着いたら…」なんて、当たり前の様に口にしている。
いつからコロナと言うキーワードと共に語らないと落ち着かなくなったのだろうか。
もう、うんざりしているはずなのに、コロナ、コロナ、コロナ、である。
コロナ情報に自らダイブしている状態だ。コロナへのディスタンスは、一層近くなっている。
「昨日は何人だった?」を知りえたところで、コロナウィルスに感染する確率が下がるわけではない。
そんなことは分かっているのに、コロナ関連のニュースから遠ざかる勇気がない。
もう、ここまでやっていて、感染したら仕方がない。
「それぐらいの心持ちで良いんじゃない?」そんな風に、妻と話した。
病は気からじゃないが、精神汚染は防ぎたい。
それでは、良い週末を。