こんばんはkamiです。
今日は、3月31日、日曜日の夜。
週末が怒涛の如く過ぎ去った。
心地よい疲労感に浸りながら、この投稿を書いている。
妻が、寝込んでしまった。医者いわく「おそらく風邪だろう」とのこと。金曜日の午前から調子が悪く、近所の内科に行き風邪薬を貰ったらしい。
しかしながら、体調は悪化し、声が出なくなり、金曜日の夜から寝込んでしまった。
妻から「起き上がれない」と宣言された僕は、幼稚園が春休み中の息子とこの土日を奮闘することになったのです。
徐々に、妻の体調は回復し、今日の夜には起き上がることが出来た。そして僕も、一息つけるようになった。
で、この二日を振り返り思うことは
- 妻のありがたみを再認識した。
- 息子の成長を感じた。
というありきたりのことはもちろんだが、
「出来ることが出来なくなっている」ということに触れておこうと思う。
出来ることが出来なくなっている。
僕は、どちらかというと家事全般はできる方で、むしろ好きだ。別に、今回の事で嫌いになったとかそういうことではない。
2年前までは、風呂掃除や、週末の朝食の準備、洗濯は率先してやっていた。だが、この2年ほど、役職が上がり多忙になったこともあり、家事は全て妻に任せていた。
その結果、ありきたりではあるが、今回「モノがどこにあるのかわからない」と言う事態に直面した。
- 柔軟剤の替えがどこにあるのか?
- 風呂場には掃除用のスポンジが3つあるがどれでバスタブを洗っているのか?
- スーパーに持っていくマイバックは何処に収納されているのか?
- 麦茶のパックが2種類あるが、通常どっちを使っているのか?
- そもそも、スーツのクリーニングは何処に持っていってるのか?
「見つからない」、「分からない」と思う瞬間が多くあった。
それぞれ、何がしかの方法で対応はしたものの、できない自分へのストレスが募っていく。だが、まあこれはまだ良い。「教えてもらえれば良い」ことだから。
得意だったことが、そうではなくなっていた。
ショックだった。
僕は、料理が得意であることを公言している。和食以外であれば僕の方が上手く作れるという自負を持っている。
現在転職活動の身であるが、趣味や得意なことを問われた場合には「料理」と答えて、料理の何が良いのか?それがどう仕事に生かされるのか?なんて語ったりもしている。
しかし、今回はうまくいかなかった。調理やが上手くいかなかったのではなく、「買い物」でつまづいたのだ。食材の相場が分からず、買い物に時間が掛かった。
例えば、息子が食べるミニトマト。妻は、毎食息子にミニトマトを食べさせている。
これが、「大体何個ぐらい入っていて、いくらぐらいなのか?」が分からない。
ミニトマト売り場には、1パック198円~398円ぐらいのものが6種類陳列されていた。
私たちの家計上、どれを購入することが正解なのかが分からない。
198円で小粒が17個、398円で大粒が10個、253円で小粒が20個、どれを選んだところで、明日の生活に響くわけではない。また、「なんでこんな高いのを買ったのか?」と怒って追及するような妻ではない。
が、「料理が得意であると公言している男」として、ミスチョイスは許されないという理性が邪魔をするのだ。
商品を棚に戻したり、売り場をうろうろしたり、悩んだ挙句、結局、198円で小粒が17個入り、愛知県産の「まりくん ハニーレット」というミニトマトを購入した。
このあと、同じことが、鶏肉と納豆でも起きた。そして案の定、こんな優柔不断な買い物に付き合わされている息子がぐずりだした。
「飽きた、遅い、帰りたい」を連呼してくる。
彼を、諫めるとも、叱るとも言えない曖昧な対応をしていたら、子供が泣き始めた。
泣くほどの事か?と問いかけた。
「おかあさんと買い物に行きたい」とのこと。
うーん、まいったな。
僕は、子供の機嫌を取る為に、「仮面ライダージオウ チョコ」を購入した。80円ぐらいだった。
食材を吟味した結果、無駄なものにお金を支払うことになったのは、不本意だった。適切な対応をしていれば防げた出費だ。
仕方ない・・。
一個当たりがいくらかをスマホの電卓で計算して、「まりくん ハニーレット」を購入した意味がなくなった・・。
そう思いながら、レジに向かって家路についたのでした。
今日の晩御飯は、チキン南蛮、さつまいも入りみそ汁、サラダ、キムチ納豆になった。「チキン南蛮」は彼の好物で、リクエストされたものだ。
「 おとうさんが作るチキン南蛮のほうが好き」と息子は言ってくれた。
その言葉でこの二日の奮闘が報われました。
あー父親って単純。ありがとね。
それでは、この辺で。