20ページまで一気に読み進み、ブレイク。
目まぐるしい展開にページを手繰る指を止めることができなかったという訳ではなく(そういう作品ではなく恋愛小説です。)、登場人物の吐息や心音が聞こえてくるような描写に、大きく息を吸うことは憚られるような気がしただけです。
「浸透圧」
この作品を一言で現すなら、「浸透圧がすんごいの」です。
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主人公である「私」と彼女は5年振りに東京で再会を果たす。
今や、「私」は台湾生まれの日本住まいとして、彼女は日本生まれの台湾住まいとして生きている。
台湾料理店でテーブルを囲み、共通の思い出話やお互いの近況に花が咲く。
一つ一つ確かめ合うように。丁寧に追憶に耽るように。会話を重ねる。
確かな故郷の料理が、ぶっきらぼうな店員の接客が、紗のカーテンから差し込む少し傾いた光の粒子が、「私」と彼女の間を隔てていた、膜を溶かしてくれているような気がした。
『こんな時がずっと続けばいいのに。』
二人とも、「外国人」として異郷で過ごしているうちに疲弊していた。立法府や入国管理局から与えられた疎外感。マジョリティから押し付けられたステレオタイプの数々。そうして、気付かないうちに緩やかに削り取られていたアイデンティティ。
『もう少しで取り戻せる気がする。時間よ止まれ 』
夜の帳が訪れた。 私たちを撫でる6月の風。2人の間にある蝋燭の炎が、私たちの輪郭を浮かび上がらせている。ゆらゆらと頼りない。巻き起こる微風が小さな炎を不安定に揺らす。
『お願い。消えないで。』
離れ難い想いは、二千キロの海を、ナショナリズムを、セクショナリズムを超えていく。「私」の想いの着陸地点がようやく見渡せた。
今しかないと「私」は確信している。
でも錯覚だったら?
もはやどうでもいい。
本当に、言いたかった言葉は…。
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セクシャルマイノリティの、はがゆく胸が締め付けられる描写が素晴らしいです。 作中、象徴的に「漢詩」が使われています。それが一層この小説を神秘的に印象づける役割を担っています。
作者の李 琴峰
1989年台湾生まれ、15歳から日本語を習い始め、同じころから中国語で小説創作を試みた[2]。
台湾大学卒業後、2013年来日、早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程入学、のち修了。
2017年、初めて日本語で書いた小説「独舞」(のち『独り舞』に改題)で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。同作は、通勤電車の中で浮かび上がった「死ぬ」という一語が創作のきっかけだったという[3]。『独り舞』台湾版は自訳で刊行(2019年、聯合文學出版社)。
2019年、「五つ数えれば三日月が」で第161回芥川龍之介賞候補。同作は後に単行本化し、第41回野間文芸新人賞候補となる。
文芸誌のほか、「ニッポンドットコム」や「太報」など、複数のメディアにて日中両語でコラムを執筆している。
引用:ウィキペディア
李氏は、台湾生まれの台湾育ち、現在は日本で活動している若手女性作家です。小説家としても日中翻訳家としてもお仕事をされています。
出自見る限り、「五つ数えれば三日月が」は自身の実体験がふんだんに含まれているのだろうと推察できます。それゆえ、フィクションであっても、豊かな感情、息づかいが聞こえる作品になっているのだろうと思いました。
李氏は、2018年にデビューして、2019年の本作で芥川賞候補ということで、今後の期待が持てる作家です。
一つ懸念していることは、前作の「独り舞」も「五つ数えれば三日月が」も、どちらも、「異国人の主人公」、「LGBT」を描いた作品であるということです。
「台湾と日本の歴史的背景」×「異郷人」×「LGBT」は、李氏にしか書けない題材ではあるが、他の題材の描いた作品はどのように感じられるのだろうか?
今後の作品に期待したいと思います。
ではでは