kaminomania ~倒産前に転職を試みる35歳会社員の奮闘記~

会社の経営危機で転職活動中の35歳係長が日々のあれこれを綴ります

【贅沢品は敵】飲食店を継がせてもらえなかった二代目

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僕は家業の飲食店を継がせてもらえなかった。

そんなことを、このコロナ騒動で思い出した。

 

僕の実家は、「高級割烹」という部類に属していた。ランチ営業は無く、夜のみの営業。コースで、12500円、15,000円、20,000円の3種類のみだ。

 

飛び込みの一見さんも相手にしているが、誰かの紹介で来られるお客がほとんどだった。一見では入りにくい外観でもあった。

 

お客の大半が、医者や事業経営者だった。医者は開業医がほとんどで、事業経営者といっても雇われではなく創業オーナー経営者が多かった。

 

大阪のベッドタウンにありながら、多くのお客様に愛されていた。

僕は、この店に関わることを誇りに思い、小学生の頃から嬉々としてお手伝いに励んでいた。

高校生の頃には、多くの常連客からたくさんの言葉をかけてもらっていた。

 

  • 「君のお父さんの料理を食べるために、病院を抜け出して食べに来て仕事に戻る医者も多い。」
  • 「関西出張時の接待は、必ずここを指定される。」
  • 「君が2代目か、人気店だから大変だけど灯りは消すなよ。」

 

と聞かされ、父への眼差しは羨望のものになっていた。もはや熱病に侵されているような心地だった。

 

 

「大学は行かずに、調理人の道へ進みたい」

 

 

高校2年生のある日、寝る前の父を捕まえてそう話した。

 

 

父は、「父親の仕事を好きになってくれたことや、まして後を継ごうと考えてくれていることは嬉しい、ありがとう。」と言った。

 

しかし、「子供達に後は継がせない。一代限りで潰す。70歳までには閉める。」と宣言をされたのだ。

 

その後、タイミングを見て3度話し合いの場を設けてみたがダメだった。

さらに、今、料理人になる道を進むことも認められず、大学受験をすることは絶対だと言われ、それに従った。

 

この間に、父からは色々な話を聞かされた。

細かいことは忘れたが、3つの言葉は今でも鮮明に覚えている。

 

  1. 「本当に飲食がやりたいのか、大学生活で見極めなさい。大学は視野を広げる場、就活予備機関みたいなものだから。」
  2. 「万が一飲食の世界に進む場合、職人側には来るな。経営側に行け。」
  3. 「修行先、就職先は、大衆向けの外食企業を考えなさい。ひとたび事が起きると贅沢品商売は真っ先に切られる。無くても困らない。」

 

今、振り返ると3だ。「無くても困らないもの」嫌な響きだ。

 

父は、阪神淡路大震災、東日本大震災に伴う自粛ムード。リーマンショックやトヨタショック等、様々な経済ショックを生き残ってきた。

そのたびに、接待需要に振り回され、事態沈静化後には企業交際費が引き締められることを痛感しているのだ。

 

また、父には、多くの飲食経営者とつながりがあった。

なかでも、一気に財を成したのは「ラーメン屋」と「とんかつ屋」と言っていた。

 

「ラーメンと揚げ物で稼いだ金でスーパーカーに乗って俺の店に遊びに来て、昨晩の北新地と週末のゴルフの話ばかりしている。」

 

「あいつらは一日に何度か店を除くだけ。一方、俺は一日中店に貼り付いて開店準備だ。」

 

「そして、俺はいまだにスーパーカーは持っていない。息子よ、これは屈辱だぞ。」

 

 

・・・高級車が欲しかったんだな、親父。

 

 

いずれにせよ、何を選ぶか、どこで誰と戦うのか、そこで何をやらされるのか?

 

就活生や、転職者はしっかり見極めた方が良い。

 

ではでは

 

 

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