こんにちはkamiです。2019年3月4日です。
このつぶやきに、ちょっと思うところがあったので、キーボードをたたき始めた次第です。
入社の時は歓迎するのに、退社する時は花束ひとつ渡さない会社は品格を疑う。
— まんぷくまる (@hirochaaaaaaan) 2019年3月3日
辞める人はお菓子持って挨拶回りしてんのに、会社からは何の感謝もないなんて。
例え相手が在籍中どうだったとしても。
辞める時の対応の方が大事なんだと、私は思うんだけどな🤔
その会社の美学と品格は、そこに現れる
このツイッター主の考え方は極めて正常で、納得できる内容です。
しかし、この人の考え方の範疇外とも言える会社があります。
もちろん、当社のことです。
世の中には「こんな会社もあるんだよ」って知っておいていただければと存じます。
このつぶやきの言葉を借りるなら、弊社には「美学と品格」が無いということになりますか・・。
●歓迎会を開催しない
まず、社として歓迎会を開催しないです。
入社後すぐは難しいとしても、1ヶ月後までには日程を調整して、普通やりますよね?しかし、弊社では実施致しません。
読者の皆様のお勤め先でも、会社が音頭を取らないと言うケースはあるでしょう。
百歩譲って、同じデスクを囲むメンバー同士や、上司+同僚数名+新入りの構図で飲み会を開催するとか、何らかの形で自主開催をするもんですよね?
しかし、弊社では実施されません。
私も入社して4年になりますが、僕の入社時はもちろんのこと、自分が入社して以降採用されたメンバーで開催された記憶はありません。
これは、みんなが個別に動きすぎていることや、地方都市なので車通勤が多いことや、歓迎会をやってもらった記憶がないことや、忙しすぎることが原因の一因になっているかもしれません。
●送別会を開催しない
もちろん、送別会も開催しません。
飛ばれたりするとさすがに、開催はできませんが。飛ばないケースにおいて、「退職理由がネガティブ」であっても、そうでなくても開催しません。
さすがにこれは寂しいということで、一部のメンバーの呼び掛けで有志メンバーを募り開催をしてきました。
やっぱり、激務のなか戦ってきた戦友をねぎらってあげたいという気持ちが強いです。
●歓迎会や送別会を開催する理由・メリットを考える
歓迎会・送別会を、会社として開催する理由にはもちろん打算的な側面もありますよね。
①歓迎会のメリット
- 新人が先輩と馴染むきっかけになる。
- 新人が入社して会社をどう思っているのかフレッシュな視点で聞きたい。
- 辞めたいと思っているなら未然に防げるかもしれない。
- 隠し持っている意外な性格・特技・人脈等がポジティブに働くかもしれない。
会社としてのデメリットなんて皆無じゃないですか?
新人君のデメリットもないはずです。ちなみに、新人君が思いがちな「気を使いながら飲みたくないなあ、説教とかされるんでしょ?」とか思っちゃってる人は論外だと僕は考えてます。
まあ、気持は分かるけど、「好意で時間を空けてくれてる」という前提は汲んでほしいと、35歳のおっさんは思うんですよね。
➁送別会のメリット
これは、もうシンプルにこの2点じゃないでしょうか。
- 「お客様の立ち位置に転職される」かもしれない。
- 「社外協力者として人脈の一つになる」かもしれない。
綺麗に送り出してあげることにデメリットなんて一つもないと思っています。
にもかかわらず、当社には「異常なルール」があります。
●「退職者の上位役職者は参加禁止」というルール
そう、「退職者の上位役職者は参加禁止」なんです。
もちろん暗黙のルールですが、これはちょっと異常だと思っています。
社として送別会を開催することができないので、社内のお知らせLINEグループに発表できないです。なので、有志でコソコソと企画するんです。
例えば、仮に僕kami係長が退職する場合、上司の部長と課長にそれぞれ声をかけると、双方「出席はできない」との返答になります。
しかし、ここで2つの傾向に分かれます。
●本当にこない上司と「わざと遅れて来る上司」
送別会は、会社にバレないようにコソコソ企画するんですが、まあバレてます。
だからってとがめられることはありません。
妙に開催日当日に「直帰のスケジュールが多い」、「開催日翌日の直行スケジュールが多い」ので、そりゃあ感づかれるものです。
で、開催日当日に、「本当にこない上司」と、「適切に残業を切り上げて、わざと遅れてくる」上司に分かれます。面白いものです。
そして、この「わざと遅れてくる上司達」には特徴があります。
・「部下の信頼が厚い。」
・「取引先からの評価が高い。」
・「営業成績は良い」
・「でも、出世のスピードはちょっと遅い」
「送別会に出席しない上司」はその逆です。面白いものですね。
僕は、「送別会に、わざと遅れて、ちゃんと最後まで居る」人間でありたいなと思っております。