年賀状だけで疎遠になっている友人関係に終止符を打ちたい。
2年前にそう誓った。
僕には友人と呼べる人が少ない。中高はグレていた。大学ではサークルに参加せず、授業とアルバイトに精を出していた。
そのせいか、同世代の人間と濃密な関係を構築する機会が少なかったと考えている。青春というのだろうか?甘酸っぱい目標に向かって汗水流すという経験が皆無だ。
また「群れる」ことが苦手な性分でもあった。「協調性が足りない」という文言を通信簿に書かれたことは一度や二度ではない。今でこそ、職業上社交的に振舞っているものの、本質はあまり変わっていないと認識している。
こんな僕にも、濃密な出来事や期間を共有した友人が7人いる。彼らには結婚式にも来てもらった。大切な友人だ。と少なくとも僕は思っている。
そんな彼らとも、長い人で6年、短い人で3年も会っていない。皆日本国内に居住しているものの、新幹線や飛行機で行かないと会えない距離に居住しているからだ。と言い訳をしている。
去年、つまり平成31年の正月。
7人の友人から届いた年賀状は5枚になった。
2枚足りない。
胸騒ぎがした。
2人は死んでいたわけではなかった。
ちゃんと連絡は取れた。
一人は、事業で失敗し借金を抱えてしまい、アルバイトを3つ掛け持ちしている。奥さんと子供は出て行ってしまった。「年賀状は妻が作っていたから、送れなくなった。」とのこと。
もう一人は、一部上場のメガバンク勤めだったがパワハラに合い、うつ病、退職、ニートになっていた。「何もする気力が起きない」とのこと。
この出来事は非常にショックだった。後悔もしている。
もしも、日常的に連絡を取り合っていれば何かができたかもしれない。という思いがある。その一方で連絡を怠っていた僕がそれを想像することもおこがましい。
「一年に一度は会いたいね。」、「今年こそは飲もう!」なんて言葉を年賀状に書いていた。それも、いつしか書かなくなり、当たり障りないご様子伺いの文言をチョイスしていたように思う。多分ちょっとした罪悪感があったからだ。
今僕は、色んな意味で準備が整っている。金も、時間も、仕事も、子育ても。
でも、準備が出来てからでは遅いのだ。
僕は、昔からそうだ。こと自分のことプライベートのこととなると慎重になる。
構えてしまう。体裁を気にしてしまう。
また、来年になれば整ったかに見えた状態は、案外破綻しているかもしれない。
いつ何時、何が起こるかなんて誰にもわからないのだ。
今年、7人に送った年賀状には「今年は会おう。必ず連絡する。」と書いて出した。年始から、順番に連絡を取り、会いに行っている。
これまでに、広島、京都で2人の友人に会ってきた。順調だと思いきや、コロナ問題に巻き込まれた。沖縄在住の友人との予定がとん挫した。
しかし、この友人経由で金沢でのビジネスの機会が生まれた。非常に喜ばしい、儲けにもなる事業だ。
もちろん、ビジネスで儲かることではなく、友人との関係がただの友人関係ではなくなったことが喜ばしいのだ。
行動を起こす前はちょっと勇気がいるが、振り返ると実はたいしたことないってことは案外多いものだ。
僕にとっては数少ない友人だ。
大切にしたい。