赤ちゃんは泣くことが仕事。に異論は挟まないが、「赤ちゃんは泣くことが仕事です」って顔してんなよと思う。
僕は6歳児を持つ親であり、数年前には所かまわず泣く息子の存在に困りはてた経験を人並みには持っている。
近い将来には0歳児を家族に迎え入れる為、赤ちゃんの泣き声に関しては寛容なほうと思っている。
TPOもわきまえずに泣き叫ばれた時、周囲の人々に対して「申し訳ない」と思う心は持ち合わせている。
時折、申し訳なさそうなそぶりを見せ、申し訳なさそうにあやし、申し訳なさそうにその場を一時離脱する。
それが、マナーだと思っている。
それが、処世術だと思っている。
「申し訳ないと思っているかどうか」は別にして、「赤ちゃんは泣くことが仕事です」という思想を持ち合わせているかどうかは別にして、「申し訳なさそうな振舞い」をしていた方が得だろう。
レストランであれば、少なくとも30分~1時間はこの空間に居続けることになるだろうか。その間、適度に「申し訳なさそうな振舞い」をしていれば、それが免罪符になる。
でも、この一団にはそんな振舞いが見受けられない。
30代~50代の男女7名+幼児1名で構成された、8人の一団が食事をしている。
幼児は幼児用の椅子で足をばたつかせて阿鼻叫喚している幼児がいる。
大人達は「赤ちゃんは泣くのが仕事です」って顔をして、眺め、微笑み、また大人同士の会話に戻るのだ。
大人たちはそれほど重要な話をしているようには見えない。身内事の些細な会話を楽しんでいる。
大人たちの間には、赤ちゃんの阿鼻叫喚っぷりをものともしない空気が流れている。お互い柔和な表情で目配せをし、赤ちゃんを眺める。
ふと奇妙なことに気付いた。
僕が入店して15分間、幼児は泣き叫び続けている。この間この一団を観察しているのだが、いまだに誰が母親なのかが分からないということだ。
誰も申し訳なさそうな顔や素振りをしないどころか、誰も抱っこをしないのだ。とはいえ、赤ちゃんが見えていないわけではない。無視はしていない。
団員達は、皆一様に「どうしたんだろう」、「なんで泣いてるのかなぁ」と、誰に語り掛けるでもなく一人ごちて、柔和な表情で眺め、微笑み、大人同士の会話に戻るのだ。
僕は、この一団に宗教染みたものさえ感じている。
『NPO法人赤ちゃんは泣くことが仕事推進委員会』のメンバーなのかもしれない。
インドの牛に似ている。汚い牛が物顔で街中に寝そべり、所かまわず脱糞している。インド行ったことないけど。
この一団は一つの大きなテーブルを囲んでいる。
おや。よく見てみると、テーブルの下で手をつないで、輪になっているじゃないか。
先ほどは、会話を交わしているように見えたが、皆摩訶不思議な言葉を唱えて居る。銀河系との通信をしているようだ。
そうか、この赤ちゃんは生贄だ。
という、クソ気持ち悪い妄想をしてしまうくらいに、見ていて気持ちが悪いのだ。
「赤ちゃんは泣くことが仕事です」ってことに異論は挟まないけど。
社会はお前たちだけで構成されているわけではないから、「赤ちゃんは泣くことが仕事です」って顔してると、つまらんことに巻き込まれるぜ。
ではでは。